~回天搭乗員へ志願した時の状況や想いについて聞かせてください。~
(山本)
昭和16年12月8日に日本は真珠湾で相当な大勝をあげました。
特殊潜航艇も5基出て、英米軍の軍艦を沈めています。
その後、昭和17年8月、ガダルカナル島に米軍が反撃してきて、日本はそこで大きく負けました。
新聞には負けたとは書かずに、軍が移動したとしか書いてありませんでしたが。でもアメリカ軍との技術や物量の差は大きく、比べ物になりませんでした。
例えばアメリカは、島を占領して飛行場をつくるのに、重機を持ち込んで2~3日でつくってしまう。
一方、日本はほとんどが人の手でつくるんだから、その差はハッキリしていました。
制空権をアメリカ軍にとられてしまい、その後戦況はどんどん悪化していったようです。
昭和18年4月には、連合艦隊司令長官の山本長官が戦死しています。
また10月頃には、海軍兵学校や士官学校などを出た職業軍人だけでは士官が足らなくなってしまい、学生を1年くらいの訓練で士官にし、幹部を補充するという予備学生の制度ができたんです。
私は金沢高等工業専門学校(現金沢大学)の学生でした。
21歳で受ける徴兵制度を学生の場合は延期されていましたが、それも廃止され、私は海軍を志願しました。
陸軍にも合格していて、末はパイロットになる予定でしたが、海軍に行きました。昭和18年10月のことでした。