13.平生町へのメッセージ

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13.平生町へのメッセージ

~最後に平生町のみなさんへメッセージをお願いします。~


(山本)

太平洋戦争の時に回天の基地であった平生町。

そこから回天に乗って出撃していった。

その人達にとって、平生はその最後の土地。

死に逝く最後の土地だったんです。

そういう意味で、死んでいった英霊の目に残った最後の母港だったと思います。


この平生の地に回天の記念碑を作っていただき、交流館を造っていただき、本当に死んだ英霊もどんなにか喜んでいると思います。

非常に平生のみなさんに対して感謝、感激です。


私たちも若い青春時代に命をかけて訓練をした地ですから、何か平生町に来るとホッとします。

なんとか回天碑なり交流館なりを、平生町は永く、平和のシンボルとして残していただきたいと思います。


(中川)

本当に有難いと思います。

平成16年秋にあった平生回天碑移築及び、慰霊祭に際しては、町長さんをはじめ、みなさんに本当によくしていただき、涙が出るほど有難かったです。


~みなさん、長い時間、ありがとうございました。皆さんのメッセージをしっかりお伝えしたいと思います。~

取材を通じて


 平成18年初秋、平生町観光協会の依頼を受け、観光パンフレット及びホームページの制作をすることになりました。その取材活動の一環として、「回天」の搭乗員だった3名様とお会いする機会に恵まれました。


 今まで多くを語ることのなかった元搭乗員さま。私たちの問いかけに対して、「平生町のためなら」と、インタビューを快く引き受けていただきました。


 インタビューは平成18年9月27日、平生町役場職員様のコーディネイトによって、大阪市内にて実現しました。

 2時間半にわたったインタビュー。時には当時の記憶を探りながらゆっくりと、また、時にはまるでその場にいるかのような臨場感をもって、その真実の話は尽きることがありませんでした。


 その悲しい歴史を、それを体験したご本人の言葉そのままに記録し、公開することができました。心より感謝申し上げます。

 また、これを、当時を知る貴重な資料として、あるいは平和へのメッセージとして、現在と未来の世代へと、しっかり伝えたいと思います。


平生回天会の会長山本様、事務局長中川様、林様、そして、取材の機会を与えてくださった平生町観光協会・平生町役場の皆様、ありがとうございました。


平成18年(2006)12月1日取材・編集/藤井康弘(株式会社くるとん)

阿多田交流館
阿多田交流館
2004年(平成16年)完成しました。
回天関連の貴重な資料約300点を収蔵・展示しています。その他阿多田半島の歴史に関する展示品もあります。
平生回天碑

平生回天碑
「訓練した海が見える場所に」という元搭乗員の方々からの希望で、 2004年(平成16年)に、田名埠頭に移設されました。
出撃や訓練で亡くなった9名の名前が刻まれています。

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