7.仲間の出撃

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7.仲間の出撃

仲間の出撃

(左から)中井 昭 一飛曹、白木一郎 一飛曹、林 義明 一飛曹、小森一之 一飛曹、水井淑夫 少尉、伴 修二 中尉




~平生基地からは伊58潜水艦が出撃していますが、その時出撃して行った仲間の様子について教えてください~


(山本)

伴中尉が隊長で、水井少尉が副隊長でした。後4人は予科練の人達でした。そのうちの一人は結局、出撃できなくて、帰ってきました。


(中川)

映画にもありましたが、潜水艦が海の中を走る時に、塩水の中で、エンジンがおかしくなったり。攻撃する前に敵に見つかって、深く潜って爆雷を受けて、傷んでしまったりして、役に立たないというような事がありました。そんな時は、基地に帰ってくるしかなかったのです。でも、帰ってきた人は、また次の出撃に早く出されていました。中には2回も3回も故障で帰ってきた人もいますよ。


(山本)

平生の場合は伴隊長の班がはじめて出たんですが、出る何日か前に司令官の命令で出撃する6人を別府温泉に休養で行かせました。光基地の場合は、もし隊員に奥さんがいたら呼んで何日間か一緒に暮らさせたようです。ただし、奥さんにはその出撃のことを言わないように、という約束だったようです。

~温泉から帰ってきた隊員の様子はどうでしたか?~


(山本)

出撃の前の日に別府温泉から帰ってきました。その時、私は、非常に感心しました。

特に、林(義明)なんかは、悟りきったようになって、人はこのような状況になったときに、こんな風になるものかと…。


そもそも回天の搭乗員になって、訓練を始めたときには、とにかくビックリしますね。

それからだんだんと、自分は死ななければならないと、思うようになる。

平生や光の基地に桜の木がありましたが、この桜が咲く時期には、自分は生きているのかなと…死を覚悟するわけです。

それでも人間ですから。夜中になると、一人で色々と考えてしまう。

もう一回、母親に会いたい、もう一度、この姿を家族に見せてやりたいなあ。と思う。決して誰も口には出しませんが…。

でも、そんな不安のようなものを、一生懸命訓練したり、話し合いをしたり、酒を飲んだりして、紛らわせていたと思います。


そんな気持ちを誰しもがもっていたはずです。

なのに、別府温泉の休養から帰ってきたとき、林(義明)などは、花の鉢に水をやっていました。

明日、出撃して死ぬというのに…。私だったら、とてもそんな気持ちになれないな、と思いました。


恐らく彼は、覚悟したんだと思います。

そして、その夜、私は、出撃する小森や伴たちと酒を飲みました。

いよいよ明日、出撃しますと言うので、「しっかりがんばれ。わしも後から直ぐに行くぞ」と言ったのを覚えています。


そして次の日、祭壇を作って、神主さんが祝詞をあげて、彼らは鉢巻を締め、そして、連合艦隊司令長官からの短刀を司令官からもらって、それから、潜水艦に乗り込みました。

潜水艦の上の自分が乗る回天の上に立って、日本刀を振りかざして、そして出て行きました。

私たちは帽子を振って見送ったのです。


当時、多くの人は、表向きには、回天に乗って早く行きたいと言っていました。選抜されて先に行く人を非常に羨むようなことを言っていました。

でも、早く行きたいという理由には、私は2つあると思います。1つは、使命感。我々の家族なり恋人なりそういう人を救いたい。救うためには我々が回天に乗って行くしかないんだという使命感です。もう1つには、厳しい訓練から早く逃れて、楽になりたいという気持ちもあったと思います。特に光基地の場合は訓練が物凄くひどく、もう殆ど休む暇はありませんでした。

そういう苦しい思い、「死ぬ」という心の中の重荷、それから早く逃れたいという気持ちです。


例えば東京大学のある予備学生なんかは、光基地の厳しい訓練で形相が変わっていたね。

家族には国のためにやるんだと、言っていましたが、片方では、そういう苦しい訓練から早く逃れたい、という思いを持っていました。

出撃が決まって、実は、ホッとしたという気持ちを持つ人もあったようです。


(中川)

光基地にいたころには、私も同じような思いでしたね。

でも、後半の平生基地では、極楽ですから、そのような気持ちはありませんでしたね。

多聞隊

多聞隊
平生基地から伊58潜水艦で出撃していった6人。伊58号は、重巡洋艦「インディアナポリス」を撃沈したことが、戦後明らかになりました。
水井少尉をはじめ、5人が回天で出撃し、命を落としました。

出撃に向かう搭乗員

出撃に向かう搭乗員
潜水艦に搭載された回天の上で日本刀を振りながら皆に別れを告げました。

林義明さん

林義明さん
伊58潜水艦で出撃。昭和20年8月12日回天に搭乗し、突撃しました。
時間さえあれば花壇の花の世話をしていた優しい青年だったそうです。出撃するその直前まで、花に水をやっていたといいます。
阿多田交流館には、林さんの帽子が展示されています。

林義明さんの帽子

林義明さんの帽子

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