4.平生基地への赴任

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4.平生基地への赴任

平生基地

~平生基地に行ったときの印象を教えてください。~


(山本)

2月初めでしたか、平生基地の建設時から行きました。

酸素の工場を作るために穴掘りをしましたよ。造成工事ですね。穴を掘って土を運びました。


回天は酸素と石油で動きます。だから、酸素工場が必要でした。中川さんは、それが縁か、戦後は酸素の会社に勤めましたが…。

そうやって、3月1日に開隊しました。


(林)

一言、言っておきたいのは、平生の基地の雰囲気は本当に穏やかだった。

海軍にもこんなに穏やかな基地があるのか?というぐらいでした。ビンタはないし、棒を持ってくることもないし…。

光基地とは全然違いました。


(中川)

「鬼の大津島、地獄の光」と言われまして、平生は「極楽の基地」でした。


(山本)

それはねぇ、司令や特攻長の人柄ですよ。

澤村司令は、自分の子供みたいな私たちが、死ぬ事が決まっているのに、何故、苦しめないといけないのか?そんな考えでした。


その前に光基地にいましたが、その時には、もう毎晩、殴られました。

晩には研修会があって、「何故、そんなことをした」「お前の技術が悪い」等と強く責められて、部屋に帰っても殴られました。


(中川)

予備学生の方は、兵学校出の士官連中には、かなりいじめられていたと思います。


彼らは兵学校で3年から4年、それからしばらくして初めて少尉になれるのに…予備学生は一年くらいで少尉になったからです。そういう妬みがあったんでしょう。


私たち予科練習生はそこまでいじめられることは無かったですよ。それでも光ではよく殴られましたが…。

でも、平生で殴られた記憶は、一度もありません。

その澤村司令と私のお袋は同じ明治32年生まれです。だから、私たちは司令にしてみれば子供みたいなものですよ。


(山本)

光基地だったら、操縦もしたことのないような上官が来て、理論だけで、二人がかりでめちゃくちゃに責めてきました。

でも、平生基地の澤村司令はそんなことはありませんでした。失敗をしても、眠ったふりをしている。

まるでかわいい子供のような、それが死に行くことが決まっているのに、なぜ、責めなきゃいかんのか?と、そんな人でした。

沢村司令

阿多田交流館に展示されている澤村司令の写真

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